2010年2月6日 語り部ツアー「橋本輝彦さんを語り部に三輪山麓を訪ねて」

纏向遺跡大型建物跡発掘で時の人でもある桜井市立埋蔵文化財センター主査橋本輝彦さんが語り部という、贅沢なツアーです。座学で三輪山と纏向遺跡の関係をしっかりと勉強。今回のツアーは大神神社の祭祀を司った三輪氏の三輪山麓の遺跡など、観光パンフレットなどではほとんど触れられていない観光資源を中心に踏査します。

<今回の語り部ツアーのルート>
(集合)JR三輪駅 → 平等寺 → 大神神社 → 大直禰子神社 → 久延彦神社 → 箕倉山遺跡 → 茅原大墓古墳 → ホケノヤマ古墳 → 箸墓古墳 → 織田城跡 → 三輪の街道筋 → JR三輪駅前三輪座(解散)

眺望のよい高台には三輪氏の山城跡が点在

JR三輪駅から平等寺へ。坂道をだんだん上っていくと、大和三山が見晴らせるビューポイントがあります。この見晴らしが三輪城の郭に利用されていました。地形を利用した三輪氏の簡素な郭が点在していたことが橋本さんの説明を聞くとよくわかります。

三輪氏は三輪山の山麓一帯にこのような山城をいくつも築き、大神神社の守護と祭祀を司っていたとのこと。中でも、中世三輪城の本丸に当たる神坐日向神社には代々大神神社の宮司を務めた高宮家の住宅もありました。

三輪氏は楠正成に続くくらい南朝への貢献度があったといいます。三輪の神域を戦場にすることは避け、戦の拠点はやや西に離れた戒重城に置いたそうで、今も戒重の地名は残っています。

神宮寺の草分けである大直禰子神社

大神神社の境内を通って、神宮寺の草分けである大直禰子神社へ。その途中、大神神社ではこの日おんだ祭りが行なわれていて、境内で思いがけず甘酒の振る舞いを受けることができました。

若宮さんと親しまれている大直禰子神社は奈良時代には大神寺、鎌倉時代には大御輪寺呼ばれていました。国の重要文化財に指定されている社殿は、昭和の終わりごろに調査・解体修理が行なわれた結果、外見からも継ぎ足しがわかる柱などの用材は奈良時代の創建当初のものが含まれていることがわかりました。

神宮寺時代の若宮さんには、十一面観音も併祀されていました。明治の神仏分離で観音さまは同じ桜井市内の聖林寺に安置されましたが、その後なんと国宝に指定されています。

久延彦神社から大美和展望台に上り、大和平野一望の眺望を堪能。この辺りの山の辺の道周辺でも、山ノ神遺跡の磐座や箕倉山山城遺跡など三輪氏の遺跡が散在することを知りました。橋本さんによると、埋もれた存在の山城はまだまだ多く、素人でも発見する余地はあちこちであるそうです。

古墳のスタイルにも古代の流行

茅原大墓古墳は4世紀~5世紀始めにつくられた帆立貝型の古墳です。橋本さんによれば5世紀にはこの形の古墳が流行したそうで、おそらく三輪氏の属長クラスのお墓とのこと。来年あたりに調査のうえ、再来年にはプチ整備される予定があるそうで、うっそうとしていた樹木が伐採され、見晴らしのよい墳丘に登ることができました。
ホケノ山古墳周辺では、橋本さん同行ならではですが、なにげなく畑を見るだけで畝にサヌカイト片が散らばっているのがわかってみんなびっくりです。石器時代の工房があったらしいのです。もっとも、矢じり等の完成品は発掘しつくされているようでしたが。

この日はホケノ山古墳の墳丘に登るのは時間の関係でパスしましたが、眼下に箸墓古墳を望む位置関係からも興味深い存在です。ホケノ山のすぐふもとの国津神社で祀られている磐座は、三輪氏の祭祀結界としては北限とのこと。

箸墓古墳築造年代は卑弥呼の死と符合

箸墓古墳は、深く調べてみれば卑弥呼の墓である可能性もあるが、陵墓指定があるため一切の立ち入りが制限されているそうです。それでも、宮内庁による調査など断片的な調査での出土品から、卑弥呼が他界した3世紀後半の築造は間違いのないところ。

箸墓古墳の堤や周濠では葺き石が露出しているのを目視することができます。大阪山からバケツリレーで運んだという伝説や、昼は人が作り、夜は神が作ったという伝説があるほどスケールの大きい古墳であることは間違いないところ。この箸墓古墳の築造をもって古墳時代の始まりとする学派もあるとか。

いずれにしても纏向遺跡をもって古墳時代は始まる。これには全国的に誰も異論はないところです。

この後訪れた慶田寺は織田信長の末弟織田有楽斎の墓所があることで知られています。有楽斎は関が原の戦いで東軍に参戦、家康から3万石を貰い,内1 万石を有楽斎が取って現在の東京有楽町に江戸屋敷を開き,京都で隠居生活をしたようです。

あとの1万石は四男長政に分け芝村藩(桜井市立織田小学校が陣屋跡)を、さらにあとの1万石は五男尚長に分け柳本藩(天理市立柳本小学校が陣屋跡)築かせました。慶田寺は芝村藩にあり、芝村陣屋の南門が山門として移築されています。
芝の地は古代の上ツ道が長谷詣での初瀬街道として栄え、現在も生活道路として残っています。沿道には地酒の醸造元や和菓子の老舗創業店の古い町家が、往時の街道筋の面影を今日に伝えています。

まちの活気再生を願いう町家をギャラリーに改修

最後に戻ったJR三輪駅前三輪座では、大神神社の朔日参りや、恵比須神社の初恵比須の昔の賑わいを再現すべく、観光客をまちに回遊してもらう取組みを進めています。その目玉として、町中にある町家の一軒ををギャラリーに改装中です。
ここに、展示会を誘致したり、朔日イベントを企画したりして三輪のまちはいつきても楽しいことがある状況を創りだすこと。そして、訪れる人をもてなすことを通じて人の心に永く刻まれる「日本のふるさと三輪」の情景を地元の次世代に繋いで行くことを目的としています。

(写真・文弓手洋一郎)

平等寺下山城跡からの眺望平等寺下山城跡からの眺望

奈良時代の部材も残る大直禰子神社奈良時代の部材も残る大直禰子神社

古代豪族の謎を秘めた茅原大墓古墳古代豪族の謎を秘めた茅原大墓古墳