2009年9月27日 語り部ツアーを予習する「6~7世紀の王宮と初期寺院」

講師:近畿大学文芸学部 大脇潔教授
於:桜井駅前・まほろばセンター

飛鳥・藤原京から山の辺の道をたどって平城京へ。風景街道まほろばの道は、日本の国家の黎明期を生きた人々が踏みしめた道が今日まで伝えられている生活の道です。私たちは昨年度その約50キロの道を一年かけて踏破しました。そのときにみなが共通して感じたことは「この道の背景にある歴史や文化をしっかり学習し、基礎知識を持って歩けばもっと楽しい」でした。そこで今年は「語り部」に登場いただき、歩く前に座学で予習した上で、語り部と歩く<座学&ウオーク>がセットの語り部ツアーを行うことになりました。

最初の語り部は近畿大学文芸学部教授大脇潔先生(考古学)です。大脇先生のホームグランドである明日香村から桜井市南部の「6~7世紀の王宮と初期寺院」の遺跡についての座学と、座学でメンバーが興味を持った場所をルートに織りこみ翌月語り部ツアーとして現地をご案内いただくというスタイルです。

今回の座学のテーマは権力誇示の場が、巨大な前方後円墳から寺院に移り変わりつつあった時代の「6~7世紀の王権と仏教のかかわり」です。桜井市の吉備池廃寺で発見された巨大な金堂と塔をもつ寺跡が、舒明天皇が639年に創建した百済大寺である可能性が高まっているとか。仏教受容に消極的だった大王家も、宗教面でも主導権を蘇我氏から奪い返そうとしていた。そんな背景を持つ飛鳥から桜井市の一部を含む広義の飛鳥といわれる磐余(いわれ)の地の遺跡について学びました。

以下座学での予習内容をかいつまんでまとめました。

広義の飛鳥には大小30あまりの寺が建設されましたが、文献により確認できる例は少なく、断片的な史料や軒瓦で建立年代や造営氏族を推定するしかないようです。大脇先生はその時代を瓦で読み解く研究の第一人者として知られています。興味深かったのは、そのお寺を建てるために遠くは琵琶湖畔の山々まで木を伐採して運んだため、今でもはげ山のままという例があるとか。また日本各地から集められた何万人もの大工さん等が同時に働いていたので、出身地の地名が今も残っている例はわが地元桜井でも結構多く見られるところです。

【飛鳥寺(蘇我氏僧寺)】
わが国最古の本格的寺院です。蘇我馬子が588年に造営を開始。塔を中心に中金堂と東西の金堂が周りを囲む伽藍配置は飛鳥寺式と呼ばれます。その立地は狭義の飛鳥の喉元を押さえる位地にある、というあたりは新知識です。馬子の戦略的意図がありありと感じられます。

寺の西門の外にある、入鹿の首塚と言われる五輪塔五輪塔は、大脇先生によれば古くて鎌倉時代のものとのこと。このあたりはもともと蘇我氏の邸宅街であったことから、大化の改新で滅んだ入鹿を偲んでそのような伝承が残っているのかも。

【豊浦寺(蘇我氏尼寺)】
史上初の女帝第33代 推古天皇が即位した豊浦宮とみられる掘立柱の建物跡が見つかっています。推古天皇は、甥の聖徳太子を摂政に据え、官位12階、17条の憲法の制定など体制維持に努めたことで知られるところです。その推古帝が小墾田(おはりだ)宮に移った跡地を寺にしたものと思われます。

【山田寺】
蘇我入鹿の従兄弟蘇我倉山田石川麻呂が造営した寺で、この寺も磐余から飛鳥に至る阿倍山田道を守る立地にあります。

【奥山廃寺(小墾田寺)】
7世紀前半創建の第一級の寺であることは間違いないものの、詳しいことは分かっていませんでした。しかし大脇先生たちの研究によれば、推古帝の小墾田の宮は雷丘の東と考えられることや、奥山廃寺寺域東北隅の井戸から出土した墨書土器に「小治田寺」と書かれていることから、蘇我稲目の小墾田の家までさかのぼり、蘇我氏傍系の小墾田氏の氏寺では、との推理が成り立つそうです。いずれにしても古代史ロマンをかきたてられる大寺院の遺跡です。

【吉備池廃寺(百済大寺)】
法隆寺式伽藍配置で山田寺より少し古い年代と考えられる大寺の遺跡です。百済大寺は、それまで仏教に対する態度があいまいだった大王家が初めて受容に踏み切った最初の官寺ということになります。天武朝のとき倭京高市に、文武朝では藤原京大官大寺にと法灯が移され平城京の大安寺に受け継がれました。その過程で王権の安泰と鎮護国家を祈願する公的な寺院へと発展しました。

【大官大寺】
前述の藤原京大官大寺の遺跡になりますが、激しい火災にあった痕跡が出土しています。それでは平城京に移された大官大寺は?の疑問がでてきます。最近の発掘調査などから、大官大寺は天武朝大官大寺と文武朝大官大寺の2寺が並び立っていたとする説が有力になりつつあるそうです。この説に立てば、焼け落ちた大官大寺跡は文武朝大官大寺とみることができます。

王権と仏教のかかわりについて、各大寺院がそれまでの前方後円墳に変わるものとして築かれるようになった大まかな歴史の流れと、それぞれの遺跡についての知識を予習したことで、次回語り部ツアーのコースは自ずから浮かび上がってきました。蘇我馬子の館跡に集合し、吉備池廃寺までを歩くことになりました。

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